■札幌軟石
札幌の時計台は有名ですが、実はその写真と現実のギャップは大きく、「札幌3大がっかり」のひとつに数えられています。
時計台の周辺はビルに囲まれているせいか、その存在感が妙に薄く感じられ、「あれ、こんなんだったの?」とがっかりします。しかし、写真も修正などはなく、うまい具合に空や木の枝が入るピンポイントから撮られております。現地には時計台を撮るための台が設置されていて、その絶妙さ加減がひとつの見どころとなっています。
時計台には200円払うと入館できます。中に入ると、札幌の歴史が何枚ものパネルになって展示されているのですが、札幌という町は何回も「大火」で町が燃えていることがわかりました。
2~3回、大火災を経験したなら、4回5回と同じ過ちを繰り返すのはもうアホだと思うのですが、1892年の大火で市街地の5分の1を消失したのを皮切りに、7回も8回も「大火」の惨劇に遭っていることがわかりました。
さて、大火で苦しむ前から、建築資材にとても手頃な「石」が札幌にあることに注目されていました。軽くて柔らな加工しやすい石で、「札幌軟石」と呼ばれています。石ですから何と言っても火に強いわけで、建築に最適の、天の恵みとも言うべき石が存在していたことになります。(それなのに大火は何度も起きました。木造家屋の方が多かったのでしょう)
その石は約3万3000年前の大昔に、支笏カルデラができたという大火山帯の大噴火で、大規模な大火砕流が40km離れた現札幌南部まで大々的に流れてきて、その大高温の大火砕流に軽石や火山灰が大規模に溶け込んで出来たのだそうで、「溶結凝灰岩」(ようけつぎょうかいがん)と呼ばれています。
この地域のものは「支笏湖噴火溶結凝灰岩」(しこつこふんかようけつぎょうかいがん)と言うのだそうです。
「札幌軟石」はこの「支笏湖噴火溶結凝灰岩」の俗称というわけです。いちいち「しこつこふんかようけつぎょうかいがんが…」とは言いにくいので俗称になったのでしょう。
今私が住んでいるマンションは「石山通り」という大きな通りに面しています。あの札幌軟石がこの通りから運ばれたのが由来になっています。最初は1876年、夏場は馬車で、冬はソリで石材を運んだそうです。1909年、馬車鉄道が開通、その鉄道が現在の路面電車の基礎になっているんだそうです。(ここ、試験に出ませんので忘れて結構です)
現在は石の建築物はいろいろ規制ができて、ほとんど使われなくなりました。なので、古い建物に札幌軟石を見ることができるのですが、どれもとても落ち着いたいい感じの建物です。
札幌軟石の石切り場の跡地を利用した芸術的な公園があることがわかり、行ってみました。「石山緑地公園」といいます。その公園はとても良かったので、次回お見せしたいと思います。
■札幌のダジャレ的世界の発見 第5回・コンサートホール「kitara」
今回は建物の名称です。札幌の中央区、中島公園内にあります。1997年、なんと道内初の音楽専用施設として開館。こんなに重厚で立派なのに「来たらいいしょ」の「来たら」だと思われます。で、調べてみるとそれだけではありませんでした。 こんな説明が。
ギリシャ神話の音楽神アポロンが奏でた竪琴「キターラ」に由来。キターラの音色は「調和」を表現していた。また、「来たら?」をかけたとも言われている。
音楽神アポロンの竪琴「キターラ」については、私は「後付け」ではないかと疑っています。ネーミングの会議の様子を想像してみました。
「“観にきたら”“聴きにきたら”の“きたら”って良くないですかね」
「ちょっと軽くないか」
「気楽にどうぞっていうことで」
「何か気になるな、何かないかな、こう、それっぽい…」
「北海道の“きた”にもかかってますよ」
「“ら”はどうすんだ“ら”は」
「細かいなー」
「あっ、これどうです。ギリシャ神話のですね」
「なに、キターラとな」
「何かインテリジェンスを感じるな。いいな」
「ウンチクは大事ですよね」
「ウンチクか」
「ウンチクです」
ちょっと尻すぼみ…。